ブラタモリが行くと何かが起こる(熊本に行った後で熊本地震、鹿児島は新燃岳が噴火)というのと、今話題かどうか、大河ドラマ「西郷どん」の舞台、鹿児島に家人とでかけました。新燃岳にあまり近づいて、遭難したりするつもりはありませんが、火山の噴火が見えるかもしれないという期待と来年の授業で橄欖石の含まれている火山砂をぜひ見せたいと思い、火山巡検がてら、知覧や指宿もまわろうという観光もかねた旅行でした。

鹿児島までの往復飛行機(JAL)とホテル、レンタカー3日分が含まれて一人4万7千いくらというのは、安いといえば安いと思います。後ろの方でしたが陸側の窓側席もとることができました。

天候は3日ともまずまずで、羽田をたつと箱根が良く見えました。しかし富士山に近づくと雲がかかってしまいました。

四国上空からは晴れてきて、着陸態勢に入ると霧島連山(ほぼ真ん中あたりが新燃岳)が良く見えます。前日(3月25日)には噴火が起きていたのですが、噴煙などは見えませんでした。

行く前にグーグルマップで様子(ストリートビューなど)を見ていた霧島市の上野原遺跡がまじかに見えて写真が撮れたのはラッキーでした(工業団地の右側)。この縄文前期遺跡には大きな集落があり7000年前の喜界カルデラ噴火による火砕流(アカホヤ)に埋もれたことで有名です。また、シラス台地(29000年前の姶良カルデラ火砕流堆積物)の感じもよくわかります。

レンタカーを借りるときに、霧島の方はどの程度入れるか、通行規制などを聞いたのですが要領を得ないので、上野原遺跡の鹿児島県埋蔵文化センターへ。月曜日で展示館は休みでしたが埋蔵文化センターでは職員が対応してくれました。地層の剥ぎ取り標本がたくさんあって目的はほぼ達成できました。

このオレンジ色の部分は明らかに軽石ですが、はたしてアカホヤなのか。

遺跡のすぐ近くにシラスを採取している採砂場があり、転がっている生シラス(タモリ造語)を採取しました。

翌朝はブラタモリ同様、まずは城山に登りました。ブラタモリは旅行に関して予習みたいなものですね。

ホテルへ戻って、車でまず南洲墓地へと駐車場に着くと、なんと桜島が噴火。むろんたびたび噴火するとは聞いていましたが、このような噴煙を見たのはやはり初めてで、驚きました。鹿児島はすごいとあらためて感じました。

仙厳園と尚古集成館を見学 薩摩切子ですね。

フェリーで桜島にわたり、時計回りに一周しました。フェリーは15分ごとにあり、料金は千数百円と生活要路という感じ。まず、湯の平展望所へ。北岳、南岳があり噴火口は南岳であることを知りました。

有名な黒神の埋没鳥居。大正3年の噴火による火山の猛威が感じられます。このあたりに来ると風向きから灰が降っていました。南側がいつもすごいのかも。


 東桜島小学校校庭にある「桜島爆発記念碑」。科学不信の碑として貴重と言われています。碑文をウィキペディアから引用します。

(訳)「大正三年一月十二日の桜島の爆発は安永八年以来の大災害で、全島が猛火に包まれ、噴石が落下し、降灰が天地をおおい、その光景は凄惨を極め、八つの部落を全滅させ、百四十人の死傷者を出した。 この爆発の数日前より、地震が頻発し、山頂には多少の崩壊が認められ、海岸には熱湯が吹き出し、旧噴火口から白煙があがるなど、刻刻と容易ならざる現象があったため、村長は何度も測候所に判断を求めた。しかし桜島は噴火なしという回答であったため、村長は残っていた住民に、狼狽して避難するに及ばないと伝達した。しかし間もなく大爆発が起き、測候所を信用した知識階級の人がかえって災難にかかり、村長一行は難を避ける場所もなく、各自海に飛び込み漂流中、山下収入役、大山書記などはついに悲惨な最期を遂げるにいたった。
本島の爆発は、古来の歴史にてらせば、後日また免れないことは必然である。住民は理論を信頼せず、異変を認知する時は、未然に避難の用意をすることをもっとも肝要とし、平素から倹約・貯金し、いつ災害にあっても路頭に迷わない覚悟をしなくてはならない。 ここに碑を建て、記録する。
    大正十三年一月                  東桜島村」

帰りのフェリーから。こういう写真が撮れただけでも、すごいと思いました。

ちなみに、途中で火山灰を掃いたりする作業をされている方にお願いして、火山灰をもらってきました。たくさん持ってっていいよ、と言われましたが、その時もらった黄色い袋が貴重な教材になりました。

左から、生シラス、軽石と溶岩(購入)、火山灰、会問題毛ふもとの火山砂、指宿の砂蒸し温泉の砂。

3日目は知覧の武家屋敷、特攻平和会館、池田湖、開聞岳、砂蒸し温泉。などを回りました。途中、築地書館発行のフィールドガイド日本の火山⑤九州の火山を参考に池田湖周辺の露頭を探しましたが、1999年発行のものですから、ほとんど見つけられませんでした。この川尻海岸の砂のことは書いてありませんが、最後に立ち寄った石牟礼川遺跡考古博物館(自遊館coccoはしむれ)のホームページに解説があります。

指宿も島津家発祥の地とあって西郷どんブームになっていましたが、天文館など地方都市の色合いがあって九州はまた行きたいところだと思います。