伊与原新「藍を継ぐ海」ほか

昨年の秋からNHKで放送されたドラマ「空わたる教室」。舞台は定時制高校。その理科教師が元惑星科学の研究者で科学部をたちあげ,様々な問題を抱える生徒達と火星のクレーターを再現する実験を試みるという話で,火星の環境やクレーターに関する最新のマニアックな知識が出てきたりするので,途中から何回か見ていたのですが,後半結構ドロドロした人間関係が煩わしく思えてきて最終回は見ませんでした。しかし,新聞でこのドラマの評価が高く,原作者が伊与原新という元地球惑星科学の研究者で冬の直木賞候補になっていることを知り,それならとその候補作(藍を継ぐ海)をKindleで読み始めたら,みごと1月に直木賞を受賞したのでした。藍を継ぐ,は5つの短編小説からなり,はじめの「夢化けの島」という話からいきなり火成岩の研究者(女性)のフィールドワークの様子が描かれ,次の「オオカミ犬ダイアリー」は和歌山の山中で絶滅したオオカミが目撃されたという話ですが,真相がイヌとオオカミのDNAの違いで説明されたり,どれも科学や研究者の生きざまがストーリーの骨組みになっているのです。SFは空想科学小説ですが,この人のは,まさにリアルな「科学小説」と言って良く,同じく短編集の「8月の銀の雪」「月まで3キロ」,長編の「青の果て」,「オオルリ流星群」,「ブルーネス」と,はまってしまいました。直木賞受賞後は,SNSでも情報が流れてきて,本名,吉原新で東大出版会から出ている「全地球史解読」という専門書に太古代の地球磁場の研究で執筆担当されていることを知り,この本も購入しました。

地学の専門書籍ですが,8000円もするので購入をためらっていた本です。「オオルリ流星群」はタイトルは聞いたことがあったのですが,今回読んでみたらほんと感動的な天文マニア向け小説でした。高校時代の仲間同士が集まり,私設の天文台を建てるなんて,どっかの天文同好会の疑似体験とか,触発されたりするグループもありそうな話です。アマチュアレベルの望遠鏡でも太陽系外縁天体の掩蔽(恒星食)を観測してプロの研究が出来るなんて言うのも,リアルな話なわけで,「8月の銀の雪」で地球の内核表面に液体の外核から鉄の結晶が雪のように降る可能性があることなんて初めて知りました。そういう科学の持つロマンによって登場する人たちの人生の転機や悩み,家族の問題なんかを昇華していく話に何度も泣かされました。科学と言っても,伊与原さんの場合,地学系であることが幸いしている気もします。大自然や宇宙を相手にすることで人とは何かを振り返るスタンス。化学とか生命科学だと生々しすぎるというか,言い換えるとこれは私好みの世界観でもあります。「青の果て」は副題に「花巻農芸高校地学部の夏」とあって,同じ文芸畑の地学マニアである宮沢賢治への全編オマージュと言うべき作品で,銀河鉄道の夜をモチーフにジョバンニやカムパネルラがよみがえります。そして,科学の研究者の稔侍にも,例えば「ブルーネス」では地震研究所の広報担当だった主人公が3.11のあと世間から予知できなかったことを「役立たず」となじられことをリーダーの男につげると,「その通りだ,国民が役立たずというなら,今の我々は役立たずなんだ,ただしーーやるべきことが分かったのなら,それをやるべきだ。そうでないと我々は前に進めない。反省してうつむいているだけでは,役立たずにさえなれない。」という台詞があったり,こういった過去の積み重ねと言う土台をもつ科学,さらにそのフロンティアとしての力強さに勇気づけられるのです。科学を得ることで我々は強く生きていける,という作者のメッセージを感じます。4月から,授業でも生徒に紹介していこうと考えているところです。