名古屋旅行~古代・中世編

史跡として具体的なのがお城と古墳でしょうか。愛知にはお城と古墳も多い気がします。芭蕉の場合は歌枕を訪ねたりしますが,かなり抽象的で実在したのかすら怪しい場合もあります。古くなるほど不明なことが増えるわけで,そこがまた想像力を掻き立てるというか。つい最近NHKスペシャルで古代史ミステリーというがあり,邪馬台国近畿説に応じて魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の対抗勢力だったという狗奴国は,愛知から東に分布する前方後方墳文化圏ではないか,とする説が紹介されていました。文書にない歴史でも考古学的な事実から次第に明らかになる,これもロマンを掻き立てられる要素だと思います。今回,犬山城を行先に選んだのですが,近くにその狗奴国の拠点ではなかったかという東之宮古墳(前方後方墳というのもはじめて)があることを知り,訪ねてみました。

犬山市作成の東之宮古墳パンフレットから

犬山城から名鉄犬山駅をはさんで東側にある白山平という山の頂上に3世紀中ごろに築かれたという古墳で,泊った宿から朝チェックアウト前に散歩がてら歩くこと30分で着きました(地図参照)。

東之宮古墳へ途中で見えた景色。3日目はよく晴れました。
遠く岐阜城も見えた。
犬山周辺の地質はほとんどチャートです。

山の頂上にあるので,山の形を利用したように思うかもしれませんが,山頂部を削って平坦面をつくり,下から土を運んで盛土したことが分かっています。石槨からは銅鏡や刀剣などが多数見つかっていて,しかも3世紀ころという古さから古墳時代の初めにすでに大きな勢力があった証拠。さらに,それが前方後方墳であるのは,倭国ないし大和の勢力を示す前方後円墳とは別の勢力をうかがわせます。

古墳上,後方部から前方部を眺める。古墳の中軸は,冬至の日の出ー夏至の日の入り方向

朝の散歩がてらとは言うものの,2日目の小牧山に続いての山登りは結構疲れました。チェックアウトを済ませて,徒歩で犬山城に向かいました。昨年の姫路城,高知城と現存12天守が続き,国宝5天守はこれでコンプリートになります(松江城は登っていませんが)。

桜が咲いていてほしかった
岐阜城が見えました
御嶽山が見えました
地形的に要衝だということが分かります
杉で覆われた山が東之宮古墳
手前の建物が今回宿泊したホテル
犬山城下町はにぎわっていました

順序が前後しますが,2日目の午前には小牧山城跡に行きました。8時すぎに電波塔下のトヨタレンタカーを出発,午後は明治村で時間がかかると思い,結局9時開園の名古屋城はスルーすることになりました。雨の中でしたが小牧山城跡は,頂上に小牧山歴史館という天守が作られていて,ふもとにも「れきしこまき」情報館も整備されていて,ずいぶん力を入れている感じがしました。

小牧山城の土塁(一部復元)なかなか見ごたえがある
土塁の説明
情報館のプロジェクター解説
同左
天守近くに石垣を積んでいる
歴史館の展示,屏風絵
天守から名古屋方面の眺め

有名な小牧長久手の戦いは,家康が秀吉に勝った,けれど天下は家康のものにはならない,という流れは子供には理解しずらい(私も,去年の大河ドラマまで理解できまていませんでした)。敵の総大将すなわち大名の首をとらない限り,あるいは相手が城で討ち死しても跡目を継ぐ者(これまた争いが起きるが)がいなくなる以外,勝ったということにならない,ということでしょうか。竹村公太郎氏によると,信長は強くなかった。桶狭間の戦法は一か八かの「特攻」だったと言っています。また,長篠の馬防柵&鉄砲作戦は,武田の最強騎馬軍をひたすら恐怖したからだと言っています。何というか弱い,怖いと言って卑怯なヤツが生き残るみたいな感じありますね。三英傑は,いずれも愛知(尾張と三河)出身ということですが,名古屋はきっと最後に残った家康びいきなのだろうという気がします。

今回気づいたことを2つほど,1つはエスカレーターの乗り方で,名古屋はみんな立ち止まって2列でした。大阪の左側をあけると東京の右側あけるが融合したのかと思いました。2つ目は,名古屋の一番の繁華街を大須観音近くの大須商店街だと思ってしまったのが間違いだったことです。去年の高知では,はりまや橋からひろめ市場までのアーケードが最もにぎわっていたので,同様かと思ったのですが,大須商店街が派手なアーケード街だったので行ってみたのですが,飲食店や飲み屋がほとんどないのでした。名古屋は地方都市ではないことに今更気づきました。今回2日目の犬山のホテルは,ちょっとグレードが高かったのですが,その分部屋からの眺めや部屋の広さとかサービスはそれなりに良かったことも経験しました。今年の夏は貧乏旅行(山登り)しようかと思っています。