地質学会関東支部主催アウトリーチ巡検「浅間山の噴出物と噴火史」

8月7日から1泊2日の浅間山の巡検に参加してきました。地質学会関東支部が毎年夏に,地学教育の普及を目的に開催しているもので,一昨年は秩父,その前の北茨城にもでかけています。

浅間山は現在もときどき噴火をおこす活火山で,最近では2009年に火山灰を降らせています。また,1783年(天明3年)の噴火による鬼押し出し溶岩やふもとの鎌原村に大きな被害をもたらしていることも有名です。

火山活動は,おおよそ数万~数十万年の単位でつづき,その噴火の歴史は周囲に堆積した火山灰や溶岩,また激しい噴火に伴う火砕流堆積物によって調べられています。このような火山噴出物による地層がどのように野外で観察できるかは,やはり専門の研究者の案内と解説なしでは分かりにくいものです。巡検の内容の一部を写真で紹介します。

浅間山を遠望するときれいな円錐型の成層火山であることが分かりますが,その形は主に歴史時代の噴火で出来たものです。山体を形成してきた,大きな噴火による火山灰の堆積順に名前がつけられていて,上からAs-A,As-B,As-BPなどと言います。Asは浅間,A,Bは順序,Pというのはだいたいパミス(軽石)を意味します。はじめに訪れた地点は,浅間山火口から約30km東の群馬県高崎市上室田町の露頭(地層が見られるガケ)の約16000年前のYP火山灰(降下軽石)の写真です。


浅間山の噴火でもっとも有名なのが天明三年の噴火で,8月5日に発生した鎌原村を襲った火砕流によって村全体で477人が死亡,生存者93人という大災害と言われていましたが,現在では土石なだれによるものと解釈が代わったそうです。

鎌原観音堂と嬬恋村郷土資料館を見学しました。
当時あった50段の階段の35段目までが土石なだれに埋まり,発掘により2つの遺体が折り重なって発見されました。

 

 


この橋の下に35段(約5.5m)が埋まっています。

 

 

 

 

 


火砕流ではなく,土石なだれであった証拠の1つに発掘された遺物が焼けていないこと,さらに水にも埋もれていないことが明らかになりました。土石なだれとは,どんなものか想像しにくいのですが,空気を媒介とした岩や泥の崩壊によって起こるものだそうです。

 

 

 


2日目は,鬼押し出し溶岩を観察できる浅間園(鬼押出し園ではない)へ。

鎌原土石雪崩を発生したのは,このあたり(柳井沼)の溶岩が二次爆発を起こしたからと考えられているそうです。

 

 


浅間山東麓にある白糸の滝

当時湖だったと考えられる粘土層(不透水層)の上に堆積したAs-SP(白糸の滝降下軽石,約2万年前の小浅間溶岩ドーム起源)の透水層の間だから地下水がわき出て,横一線の滝になっています。不透水層の下はAs-BP(浅間板鼻褐色軽石層)。


最後の観察露頭は,佐久平の平原火砕流。別名小諸第一火砕流(下)と小諸第二火砕流(上)堆積物。約16000年前のYPテフラの噴火に伴う火砕流で,小諸の懐古園もこの上にあります。第2火砕流は,第1火砕流の2次堆積物(水によって流れるラハール(土石流))という解釈がされています。これらは古い時代の大規模噴火を想像させますが,天明三年の噴火でも鎌原土石なだれは草津の吾妻川にながれこみ,利根川の下流,当時の江戸川から東京湾にまで人の遺体を運んだといいます。今話題の八ッ場ダムあたりで水位が100mも上がったといいますから,とても想像しがたいですが,火山災害とはそういうものであると認識しておくのが大切だと思います。(噴火による山麓だけの防災ではなく)。

以上,実地の観察とその現象について,多くの研究者の解釈とさまざまな議論の末に明らかになった浅間火山の噴火について知識が深まり,楽しい時間を過ごすことができました。関係の方々(特に案内者の立正大学地球環境科学部助教:大石雅之さん)にお礼申し上げたいと思います。

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