ハレー彗星の古天文学

古代史に興味がわいて,邪馬台国がどこにあったかなどとともに,なんと言っても理解に苦しむのが記紀神話のオオクニヌシの国譲りの話(征服したなら普通に正当性を表わせば良いのに,何かうしろめたいことでもあったかのか,という疑いがでる)ではないかと思います。いろいろな説を渉猟して,結論したのは,これらの歴史書を編纂したのが奈良時代はじめの藤原不比等で,飛鳥時代の大化の改新から壬申の乱にいたる政争を下敷きに大和朝廷(天皇制)を確立するために編まれたからだ,と思い始めました。そして,その時代の天文現象が日本書紀に意外とよく記録されているということも面白いと思います(ひとつの文明開化でもあった)。この時代(天武-持統朝)に,ハレー彗星の記録があると知って,星座早見プログラム(古天文学バージョン)にハレー彗星も表示できないかとと思い始めました。しかし,細長い周期彗星の軌道では木星や土星の引力の影響まで計算しなくてはならず,組み込むのは難しいです。およそ76年の周期で姿を見せるハレー彗星は,ケプラーやニュートンが現われた時代にエドモンド・ハレーが1682年に現われた大彗星を観測し,その軌道から次の出現を予言したことから名付けられ,ほぼ規則正しく過去29回(紀元前240年から)の出現記録が明らかになっているということです。近いところでは,1986年(昭和61年)にハレー彗星が近日点をとおり,その姿が見られるはずでした。しかし,日本からの条件はあまり良くなく,当時私は29歳で,わざわざ友人たちと八丈島まで出かけましたが,滞在中終始天気が悪く全く見ることができませんでした。このときは日本で過去もっとも天体望遠鏡が売れたと言われるほどの天文ブームに沸いたのですが,日本本土では天候も悪く,見え具合に失望した人も多かったと思います。折しも,バブル経済による円高つづきで,オーストラリアなどへ気軽に遠征した人たちもいました。つぎにハレー彗星が現われるのは2061年で,私も104歳まで長生きすれば見られることになりますが,さすがに生きている自信はありません。それで,その時には,どんな姿が見られるのかと思って,星座早見プログラムよりずっと優れものの,ステラナビゲーターというプラネタリウムソフトで,表示してみて驚きました。

2061年に見られるハレー彗星の様子

 実は,肉眼で彗星を見たことは数えるほどもない(ヘール・ボッブは見ていない)ので,こんな彗星を一度はみたいと思う再現画像です。思い出したように,本棚から1986年当時に出版されたハレー彗星関連の本を改めて開いてみると,草加英明先生の「ハレー彗星1985-1986」という本(直筆サインをいただいていた)に2061年のハレー彗星がすばらしい条件で見られることが示されていました。私の世代で草下英明と言えば知らない人はない(五島プラネタリウムの初代解説者等々)ですが,さすがだと思いました。さらにハレー彗星と地球が近づきすぎてハレー彗星の尾に地球が入ったと言われる2010年も見てみました。本当に,尾が110°にもなっていたようです。

1910年(明治43年)のハレー彗星

古天文学的には,日本書紀に記録が見られる天武天皇13年(684年9月)の様子も再現してみました。いままで日食や月による惑星の食などを注目しがちでしたが,突如現われる彗星も相当インパクトがある現象だと改めて認識した気がします。歴史に残る大彗星の出現は,江戸時代の浮世絵などにも描かれているようで,私が生きている間にもう少し見られても良いはずだと思うこの頃です。

天武13年(684年9月7日)のハレー彗星

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください