「数学の言葉で世界を見たら」 大栗博司著 幻冬舎
宇宙の謎をひもとくという超弦理論(理論物理学)の第一人者として知られる,大栗先生による中高生むけの数学の解説(副題が「父から娘に贈る数学」となっている)本です。私は数学が苦手というわけではありませんが,高校3年の数学Ⅲで挫折した,と思っています。本当は天文学者になりたいと思っていたのですが,そのためすこし進路変更せざるをえなかった気がしています。それでも,科学的な理解の方法として,数学が分かっていないといけないという気持ちを抱き,素粒子論や一般相対論などの理解をいつかは数学的にできる人になりたいと思っています。大学いらい何度も中途半端に勉強している感じで,今も微積分や線形代数の教科書(大村平さんのシリーズなど)を自宅の机の手に届くところに置いています。
その間,すこしは進歩していて,吉田武氏の「オイラーの贈り物」などは,一応理解できた(分かってみると,タイトルが大げさだと思った)りしています。数年前には,森田真生さんの「数学する身体」など,数学が感覚的にとらえられ,岡潔の「情緒」などに感化されたりしました。それで,一昨年に小林晋平さんの「ブラックホールと時空の方程式」をわかりやすいと思って読み始めたのですが,この本も,後半に行くと,ついて行けなくなるのです。ゆっくりと,ノートに式を書いて確かめながら,とは分かっていても集中力が続かなくなるというか,もう無理,みたいな状況になります。一方,昨年からはじめたPythonのプログラミングの数値計算で微分方程式をやらせると,とても簡単だと言うことに気づいたりしました。少しずつでも「分かる」という経験を繰り返すとだんだん分かるものだと言うことを感じています。何かを,独学しようと思うと,「誰でも分かる〇〇」とか,「〇〇が分かる」という題名の本がよく出ています。そういう本は,表面的な理解にとどまることも多いのです。それに比べると,この本は5年前に買って,結構手強い内容だったので斜め読みしたままだったのですが,改めて読み直して感心したので,記事にしているところです。
中学から高校にかけての数学で学ぶ内容について,基本に立ち返って考えること,たとえばマイナス×マイナスがなぜプラスになるのか,とかパスカルやデカルトですら負の数に納得していなかったとか,歴史的に数学者のエピソードを豊富に交えながら説明してくれます。幾何では,ユークリッドの原論の5つの公理から,平行線や三角形の定理に至る過程や宇宙の曲率まで考えたり,虚数,2乗するとマイナスになる√-1の考えは,高校ではどんな意味があるのかまでは至りませんが,複素平面のことや,3次4次方程式の解の公式を考えるガロアの群論まで解いて意味を教えてくれるなど,純粋な疑問をもつ好奇心旺盛な若い人には,とても良い助けになると思います。この本を読み通すと,題名通り,「数学」というひとつの言語があるという意味が分かると思いますし,数学の勉強を続けてみたくなるはずです。また,数学をひとつの言語と考えれば,表現しようとすると文学(情緒)になるのが分かった気がしました。
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今の私の辞書に「数学」は、ありません。「算数」だけです。
中学までは全教科優等生だったのが、高校1年の「数1」さらに2年の「物理」を習った時点で「自分には数学は理解できない」と、それまでの理系志望をスッパリと文系(それも入試に数学の無い私立)に切り替え、一方的に数学と縁を切りました。
でも、四則演算まで理解できれば不都合は無いことは会社に入って分かりましたが、それなら高校以上の数学を「芸術」の一種として楽しんでも良かったのかなぁ。
※そんなふうに教えてくれる人はいなかったので・・・・
コメントありがとうございます。HKenさんほどの方が数学を早々捨てたというのは,意外でした。もちろん算数でも支障はないと思います。でも,たとえばピタゴラスの時代にには小数はなくて分数だけで,小数自体が発明だった,という話なんかを読むと,算数でおわりにするのはもったいない(面白い)と思いますよ。